2007年11月21日水曜日

グラマラスアイドル 河合奈保子

豊かな胸・豊満なボディ・美貌は、河合奈保子と共に、グラビアやアイドル水泳大会で注目される実績を残した。同期で同郷でもある河合とは「なおなお」「よしよし」と呼び合う間柄で仲が良い。 話し方に特徴があり(極端に言えばサ行の発音が外国風)物まね番組などで、80年代には、誇張され、よく物まねされていた。浜田翔子が表紙と巻頭。表紙を見た時から思いましたが、中見てもなんか疲れに近い物を感じるのです。

多分本人の疲れとかではなく、撮影時の表情の方向性の問題。全体に表情が硬いんです。その表情のこわばりが、見る側に不安定な印象を与えています。衣装面は割とバリエーションに富んでおり、面白みもあるので、表情がもう少し良ければ、と悔やまれます。南明奈は写真集買ったので、写真集見て思ったこと含め写真集レビューの際に詳細に書きたいのですが、彼女は雰囲気後藤真希、表情の出し方が安倍なつみという、非常に希有な物を持っていると思います。

スタイルはそこそこスレンダーだけど、肉感も兼ね備えている。ということで、磨き方によっては今年独走するくらいのポテンシャルは持っていると思います。今のままだと表情の出し方が完成されすぎていて、そこに面白みに欠ける部分がある。工藤里紗。sabra上ではグラビア撤退的な内容が書かれていましたが、こうやってきちんと週プレ巻頭に出てきてくれているので、別に気にしなくて良いのかも知れない。彼女の場合常に完成度は保っているし、スタイルの増減はあっても大崩しないので、どのグラビアも安心してみていられます。

このグラビアでも表情バリエーションは広く、でも安定しています。そろそろ次の展開を考えないといけないかも知れませんが、次の展開をしつつ、この安定したグラビアを見せて欲しい。小阪由佳。セクシー表情では、彼女の魅力は出ないのです。写真集の中にはそういう表情もあるのでしょうが、このグラビアを見ると、購入意欲が落ちます。中川翔子。ブログ風の文章を伴ったグラビア。中川翔子は最近コスプレグラビア専門、みたいなところがあるけど、今回はコスプレ色を感じさせる部分はある物の、割と普通のセクシーグラビアになっています。

2007年11月17日土曜日

最近のグラビアアイドル

最近のグラビアアイドルは、グラビアより先に何らかの職業経験を積んでからグラビアの世界に参入してきた人材であり、この傾向は今後もグラビアにおけるもう1つの潮流となっている。なお『テレ朝エンジェルアイ』は後発であったことや、起用したアイドルの反響が思いのほか少なかったことからこの年限りで廃止になっている。『ミスマガジン2004』では、グランプリに小阪由佳、読者特別賞に山崎真実、審査員特別賞に松嶋初音という純グラドルが選ばれたのに対し、『ヤングジャンプ制コレ2004』では森絵梨佳(「SEVENTEEN」)、平田薫(CANDy)等ティーンファッション誌モデル出身者が受賞。

この頃からティーンファション誌モデルが高校生に進級した時期に合わせてグラビアに進出させる、いわゆる青田買いが増え始め、「SEVENTEEN」の専属モデルだった榮倉奈々や「nicola」の専属モデルだった新垣結衣、リクルート「ゼクシィ」のTVCMでブレイクした加藤ローサなどが代表格となっている。また、既にテレビタレントとして活躍中の眞鍋かをりがこの年の末に自身のブログで伊達眼鏡姿を公開し、これを契機に一気にトラックバック数日本記録を樹立する。これが各方面で話題になり、彼女の功績によりブログというネットツールが広く知れ渡るようになったことで、ついには「ブログの女王」と呼ばれるようになる。

また翌年には自身のオタク知識を前面に押し出したブログで中川翔子が話題になり、そこで展開される「ギザ、かわユス」などの独特なネット言葉が注目を浴びた。こちらもまた大きな話題になり眞鍋に対してこちらは「新ブログの女王」と呼ばれる。この2名の出自から更にグラドルの知名度は上がった。なおこの頃から若槻千夏や小倉優子の後を追うようにグラビアと並行してテレビバラエティに進出するグラドルが多数現れ、深夜番組に留まらず、ゴールデンタイムなどにも頻繁に顔を出すようになり、大抵の番組では俗に「グラビアアイドル枠」といわれるものが設けられ、芸人等に混じり番組を盛り上げる役としてお茶の間の人気を獲得していく。

2005年、それまであまり知られていなかった新人グラビアアイドルが突如として現れる。まず年頭からフジテレビの競馬情報番組『うまッチ!』にレギュラーとして起用された工藤里紗がブレイク。番組は若槻千夏の初の冠番組で東日本のローカル放送ではあったが、同番組で見せる極めて素人っぽいリアクションがウケてグラビア界でもすぐさま取り上げられるようになり、新たな旋風を巻き起こす。

2007年11月3日土曜日

グラビアアイドルの転換期

フジテレビVQには周防玲子(現:すほうれいこ)、一戸奈未(現:一戸奈美)、川村亜紀(同年「ミスヤングマガジン」グランプリ受賞)、桜井裕美(後に『JJ』のファッションモデルに転身)、三津谷葉子(1996年『ホリプロタレントスカウトキャラバン』優秀賞)、金子さやかの6名が選出。またこの年の『ホリプロタレントスカウトキャラバン』で審査員特別賞を受賞した綾瀬はるかがグラビアアイドルとしてデビュー。この頃は大きな反響を得られなかったが、後にテレビドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』で主演に抜擢され女優として開眼する。

ハロプロ勢にも4月から石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、加護亜依の4名が加入。前年の勢いを加速して一般雑誌にまで取り上げられるほどのブームを巻き起こし、グラビア業界を華やかに彩った。この他では杏さゆりがこの年の「ミスヤングマガジン」準グランプリを受賞。細く締まったしなやかなウェストから後に「くびれクイーン」の称号を受けてグラビア誌面で活躍する。歌唱力が優れている上に、ピアノ・ギター・マンドリン・シンセサイザーを演奏し、作詞作曲も自ら手掛けるなど、非常に高い音楽性が備わっていた。加えて後のグラビアアイドルにも通じるスタイルは雑誌のグラビアやアイドル水泳大会を度々飾り、彼女の写真集は2006年の現在もなお古書市場で根強い人気を保っている。

そして天真爛漫で素直な性格は中西裕の漫画「あしたのナオコちゃん」のモデルにもなった。1980年代の人気歌手・アイドルの一人である。1963年7月24日、大阪市浪速区の愛染橋病院において会社員の父親の長女として誕生。3才年下の妹がいる。小学校入学と同時にピアノのレッスンを受け、中学時代はフォークソングクラブに所属。中学2年の秋に『スター誕生!』に応募するが、この時は書類選考の段階で選外となる。1979年に当時女子高だった私立 大阪女子学園(現 大阪夕陽丘学園高等学校)に進学し、全国的に有名なマンドリン部に入部する。同年12月、芸映プロが主催した「ヒデキ(西城秀樹)の弟・妹募集オーディション」に応募、翌1980年3月15日に中野サンプラザで開催された決勝大会に於いて応募総数25,160名の中から優勝する。

コンサートでフィーチャーされていたシーンを見て、期待し始めてから約1年半、ついに熊井友理奈のソロ写真集が発売になりました。撮影は河野英喜という、この年代のアイドルの写真集としては手堅い人選。キッズネットではあるけど、まずは大外ししないだろうという感じを受けての購入。衣装は水着が3パターン(黄色、赤ストライプ、デニム)。本人のインタビュー(Gザテレビジョンより)に「水着もあるし、ちょっと恥ずかしいな、と思いました。」

水着は全部セパレートだけど、ホルターネック主体で、下はビキニではない。ということで割と穏健だけど、この年代ならそれくらいが当然だし、良い選択だと思います。あとは普通のキャミとかワンピース、あと最初が制服、最後が浴衣。バリエーションがこのページ数の写真集としては多い。しかも、可愛らしい衣装が多くて、着せ替えの楽しみがあります。白のワンピースとか、ブルーのフォークロアっぽい衣装が特に可愛らしい。あと、制服と浴衣も良好。特に制服は、スマートな感じが出ています。2001年は表立って派手な展開はなかったものの、グラビアの転換期に入った年と見ることができる。

2007年10月24日水曜日

グラビアアイドル リア・ディゾン

海外発のネットアイドルとして一部で爆発的人気となっていたリア・ディゾンは、来日を期待するアクセス者の後押しから日本の芸能事務所と契約し、「グラビア界の黒船」と呼ばれる逆輸入グラビアアイドルとして鮮烈なデビューをしている。そして元Folder5の満島ひかりやdreamの長谷部優など歌手活動主体のアイドルがソロ活動を機にグラビア進出している。また、ハロー!プロジェクトのアーティストも、水着姿が中心の写真集やDVDを出している。

ただし、1970年代から1980年代にかけての女性アイドルが、歌手活動主体ながら同様の写真集を出していた事を考えると、特に新しい芸能活動の手法というものではない。ティーンファッション誌やテレビCMからの移籍組も多く、南明奈、夏帆などが高い人気を集めた。その他には青木りんや範田紗々のように通常のグラビアでは人気が出なかったものの、着エロ系のグラビアアイドルを経てAV業界へ転出していく者も出るようになっている。後に女優として開眼するサエコも選出されている(前年に道休サエコとして『ヤングジャンプ制コレ2002』準グランプリを受賞)。

一方の『テレ朝エンジェルアイ2003』は前述の根本はるみが100センチオーバーのバストを売りに、矢吹春奈が均整の取れた野性味溢れるプロポーションを武器に選出。特に矢吹は後に『完売クイーン』と呼ばれ、彼女がグラビア掲載された雑誌はすぐ売り切れるという逸話まで語られるようになる。『ヤングジャンプ制コレ2003』では前年にテレビ東京系『おはスタ』のおはガールやアイドルグループ・フルーツポンチの一員として歌手活動をしていたavexの近野成美がグランプリを獲得。しかしグラビア方面でより注目を集めたのは準グランプリに選ばれた川村ゆきえである。

抜群のプロポーションと10代にもかかわらず大人をも凌ぐセクシーさを併せ持った稀有な存在として世の男性陣を虜にしていった。川村は「これから先数年はトップグラビアアイドルとして活躍するだろう」とファンや業界から熱い注目を浴びていたが、翌年になって所属事務所とのトラブルから移籍問題を起こし、民事訴訟裁判にまで発展。敗訴という結果を受けて移籍先事務所での芸能活動を自粛せざるをえなくなり、一時期芸能界からフェードアウトしてしまう。2006年半ばに再び別の事務所に移籍した上で復帰したが、この当時の勢いには及ばず、グラビア業界にとっては大きな損失となった。

2007年10月16日火曜日

グラビアアイドル ブログの女王

いずれもグラビアより先に何らかの職業経験を積んでからグラビアの世界に参入してきた人材であり、この傾向は今後もグラビアにおけるもう1つの潮流となっている。なお『テレ朝エンジェルアイ』は後発であったことや、起用したアイドルの反響が思いのほか少なかったことからこの年限りで廃止になっている。『ミスマガジン2004』では、グランプリに小阪由佳、読者特別賞に山崎真実、審査員特別賞に松嶋初音という純グラドルが選ばれたのに対し、『ヤングジャンプ制コレ2004』では森絵梨佳(「SEVENTEEN」)、平田薫(CANDy)等ティーンファッション誌モデル出身者が受賞。

この頃からティーンファション誌モデルが高校生に進級した時期に合わせてグラビアに進出させる、いわゆる青田買いが増え始め、「SEVENTEEN」の専属モデルだった榮倉奈々や「nicola」の専属モデルだった新垣結衣、リクルート「ゼクシィ」のTVCMでブレイクした加藤ローサなどが代表格となっている。また、既にテレビタレントとして活躍中の眞鍋かをりがこの年の末に自身のブログで伊達眼鏡姿を公開し、これを契機に一気にトラックバック数日本記録を樹立する。

これが各方面で話題になり、彼女の功績によりブログというネットツールが広く知れ渡るようになったことで、ついには「ブログの女王」と呼ばれるようになる。また翌年には自身のオタク知識を前面に押し出したブログで中川翔子が話題になり、そこで展開される「ギザ、かわユス」などの独特なネット言葉が注目を浴びた。こちらもまた大きな話題になり眞鍋に対してこちらは「新ブログの女王」と呼ばれる。この2名の出自から更にグラドルの知名度は上がった。

なおこの頃から若槻千夏や小倉優子の後を追うようにグラビアと並行してテレビバラエティに進出するグラドルが多数現れ、深夜番組に留まらず、ゴールデンタイムなどにも頻繁に顔を出すようになり、大抵の番組では俗に「グラビアアイドル枠」といわれるものが設けられ、芸人等に混じり番組を盛り上げる役としてお茶の間の人気を獲得していく。2005年、それまであまり知られていなかった新人グラビアアイドルが突如として現れる。まず年頭からフジテレビの競馬情報番組『うまッチ!』にレギュラーとして起用された工藤里紗がブレイク。

2007年10月10日水曜日

グラビアアイドルの転身

売れないグラビアアイドルが転身する例がみられるようになり、ジャンルが確立されてからは女優に転向、という例が頻繁にみられるようになった。彼女たちの中にはデビュー後も「現役グラビアアイドル」という肩書きを持ち続ける者や、「あくまでも芸能活動の一環として出ているだけで、女優に転向したわけではない」などと主張する者もいる。彼女たちの出演作品は、ヒットすることも多いため、メーカーはこぞってグラビアアイドルに出演の交渉を持ちかけている。

「元芸能人」という肩書きが作品の売り上げ向上につながることから、女優になることが決まっている者が箔をつけるために「一旦グラビアアイドルとしてデビューしてから」という例もある。グラビアアイドルは過去から現在においても、隆盛を極めながら、その活躍の場は多様化しているといえる。今をときめく新垣結衣のヤンジャン初登場を彷彿とさせる、nicolaのトップモデル岡本玲のヤンジャン初登場のはずです。

表紙に微小に掲載、先週の予告にも掲載されていた記憶がない。新垣結衣が「ハイティーンになるにつれ魅力が増していきそう」なnicolaトップモデルなのに対し、岡本玲は「ローティーンゆえの魅力を引き出された」タイプなので、今になってのグラビア展開には若干の弱さを感じるのも事実。というか、小6から中1のころの他を圧する魅力は、まあ失われていますね。でもまあ、元気っ子路線の写真群は彼女に合っているし、その路線では十分戦えるだけの魅力はあると思います。

上戸彩並のポテンシャルを感じることが出来るかも知れない。グラビアアイドルや女優というエロティシズムに着目し、それを害悪とするならば、人間に性欲がない場合は理にかなった話にもなるのですが、残念ながら人間は性欲を持っています。それらのメディアは、その性欲を発散させる為の良い道具にもなり、その意味おいては社会に貢献した仕事にもなっていることは事実です。しかし同時に、場合によっては卑猥な性描写の情報をを意識に刷り込まれる事によって、何らかの卑猥な願望、或いは過激な性行動を誘発させる原因としての役割も否定できません。

2007年10月4日木曜日

グラビアアイドル キャラクター確立

里田まい、大沢あかね等が代表格となっている。またおバカキャラと同じで一般常識に疎いが、頭の回転が早く芸人の如き素早い切り返しのツッコミを入れる芸人タイプのバラドルも存在する。このタイプを代表するのは鈴木紗理奈や若槻千夏で、時に相手を皮肉る“毒舌”で笑いを取るが、自身もどこか抜けているというギャップで笑いを誘う。お嬢様タイプは、番組を彩る華としてグラビアアイドルのイメージを過不足なく持ち込んでいるタイプである。

その昔のアイドル歌手がバラエティー番組に出演した場合と同じ扱いであり、熊田曜子、安田美沙子、小倉優子、ほしのあきなど、グラビアアイドルとしてのイメージとバラエティー番組で見せる姿のギャップが少なく、現役でグラビアアイドルを継続しつつ並行してバラエティー出演を果たしている場合が多くみられる。また新人アイドルは得てしてこのタイプからバラエティー番組への出演を始めて、経験を積むうちに自身のキャラクターを確立していく。

知性やキャラクターの面白さよりも主に体力を競うバラエティ番組で大きな注目を集めるのが体育会系タイプである。その際に見せる真剣さや必死さが視聴者の共感を呼び人気を得る。水野裕子、ソニン等のほかに、タレントに転身した美人の元スポーツ競技選手などがこの分野で顕著な活躍を見せている。出演番組によって己の立ち位置を微妙に変えて対応する器用なタイプのバラドルも存在する。

MEGUMI、小池栄子、ベッキー、東原亜希等は、自身が司会を務める番組では仕切り役、メイン司会がいる場合はアシスタント、ゲストとして出る番組では時に笑いの対象、時に視聴者(特に同年代の女性視聴者)の代弁者として番組に彩りを添える。得てしてこのタイプは多趣味であったり多芸である場合が多く、バラエティー番組のみならず女優業等でも高い評価を得ている。

2007年10月2日火曜日

グラビア専門誌「デラックスマガジンORE」

2005年は、つんく♂賞が設けられ時東ぁみが受賞。グラビアだけでなくかつてのような歌手活動中心のアイドルとして活動している。2006年ではつんく♂賞の受賞者が発表されず、賞が設けられていたのかどうかも不明。時東を売り出すために特別に作った賞とも考えられる。2007年5月より放送の資生堂「uno」CM(デオドラント用品)に、主要歴代受賞者が出演している(2002…和希沙也・安田美沙子、2003…岩佐真悠子・瀬戸早妃、2004…山崎真実、2005…加藤理恵、2006…倉科カナ)。

森尾由美と南野陽子は、時にミスマガジン出身と思われがちだが、実際にはミスマガジンの流れを汲んだグラビア専門誌『デラックスマガジンORE』にて大きく取り上げられ、その高い人気からミスマガジンと同格に扱われるようになった、という経緯があり、正式なミスマガジンではない。 バラエティーアイドル(以下、バラドルと略記)の先駆けとなったのは1980年代後半に活躍した井森美幸、山瀬まみ、森口博子らである。

彼女たちはもともと歌手としてレコードを発表し正統派アイドルを目指していた(特に、井森、山瀬はともにアイドルの登竜門「ホリプロスカウトキャラバン」でグランプリを獲得している)が、ヒット曲に恵まれなかったことと、気の利いたことを言える頭の回転の良さを買われたことで、バラエティー番組への出演が増え、歌番組への出演が主だった正統派アイドルとは趣の違う存在「バラドル」として認知されるようになった。その後、一般視聴率の低下でテレビの花形だった歌番組が年々減少。

結果としてアイドル歌謡も同時に衰退したことで、歌手を本業とする正統派アイドルといえる存在はジャニーズ事務所の所属タレントやモーニング娘。など一部を除いて、観られなくなった。21世紀に入った現代において、アイドルがバラエティー番組に出ることはもはや珍しいことではなくなり、「バラドル」という呼称さえも死語になりつつある。元来は歌番組であったはずのTBS系「うたばん」、フジテレビ系「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」等も徐々にバラエティー色が強くなりつつあるのは、象徴的な事象であるといえる。

2007年9月29日土曜日

OL経験のある夏川純

OL経験のあるアーティストハウス・ピラミッドの新人夏川純が選出された。グラビアより先に何らかの職業経験を積んでからグラビアの世界に参入してきた人材であり、この傾向は今後もグラビアにおけるもう1つの潮流となっている。なお『テレ朝エンジェルアイ』は後発であったことや、起用したアイドルの反響が思いのほか少なかったことからこの年限りで廃止になっている。『ミスマガジン2004』では、グランプリに小阪由佳、読者特別賞に山崎真実、審査員特別賞に松嶋初音という純グラドルが選ばれた。

『ヤングジャンプ制コレ2004』では森絵梨佳(「SEVENTEEN」)、平田薫(CANDy)等ティーンファッション誌モデル出身者が受賞。この頃からティーンファション誌モデルが高校生に進級した時期に合わせてグラビアに進出させる、いわゆる青田買いが増え始め、「SEVENTEEN」の専属モデルだった榮倉奈々や「nicola」の専属モデルだった新垣結衣、リクルート「ゼクシィ」のTVCMでブレイクした加藤ローサなどが代表格となっている。

また、既にテレビタレントとして活躍中の眞鍋かをりがこの年の末に自身のブログで伊達眼鏡姿を公開し、これを契機に一気にトラックバック数日本記録を樹立する。これが各方面で話題になり、彼女の功績によりブログというネットツールが広く知れ渡るようになったことで、ついには「ブログの女王」と呼ばれるようになる。また翌年には自身のオタク知識を前面に押し出したブログで中川翔子が話題になり、そこで展開される「ギザ、かわユス」などの独特なネット言葉が注目を浴びた。こちらもまた大きな話題になり眞鍋に対してこちらは「新ブログの女王」と呼ばれる。

更にグラドルの知名度は上がった。なおこの頃から若槻千夏や小倉優子の後を追うようにグラビアと並行してテレビバラエティに進出するグラドルが多数現れ、深夜番組に留まらず、ゴールデンタイムなどにも頻繁に顔を出すようになり、大抵の番組では俗に「グラビアアイドル枠」といわれるものが設けられ、芸人等に混じり番組を盛り上げる役としてお茶の間の人気を獲得していく。2005年、それまであまり知られていなかった新人グラビアアイドルが突如として現れる。

2007年9月28日金曜日

グラビアと芸能活動

グラビアと他の芸能活動を並行する傾向は年々増加しており、緑友利恵、松井絵里奈、木下優樹菜などグラビアアイドルとして(もしくはその他の路線と並行して)デビューしその活動がまだ安定しないうちからテレビのバラエティ番組へと青田買いされていくケースも現れ始めている。その一方で、売れないグラビアアイドルがヌードモデルへと転身する例がみられるようになり、「着エロ」というジャンルが確立されてからは「着エロアイドルから転向」という例が頻繁にみられるようになった。彼女たちの中にはデビュー後も「現役グラビアアイドル」という肩書きを持ち続ける者や、「あくまでも芸能活動の一環として出ているだけで、女優に転向したわけではない」などと主張する者もいる。

いずれもグラビアより先に何らかの職業経験を積んでからグラビアの世界に参入してきた人材であり、この傾向は今後もグラビアにおけるもう1つの潮流となっている。なお『テレ朝エンジェルアイ』は後発であったことや、起用したアイドルの反響が思いのほか少なかったことからこの年限りで廃止になっている。『ミスマガジン2004』では、グランプリに小阪由佳、読者特別賞に山崎真実、審査員特別賞に松嶋初音という純グラドルが選ばれたのに対し、『ヤングジャンプ制コレ2004』では森絵梨佳(「SEVENTEEN」)、平田薫(CANDy)等ティーンファッション誌モデル出身者が受賞。

この頃からティーンファション誌モデルが高校生に進級した時期に合わせてグラビアに進出させる、いわゆる青田買いが増え始め、「SEVENTEEN」の専属モデルだった榮倉奈々や「nicola」の専属モデルだった新垣結衣、リクルート「ゼクシィ」のTVCMでブレイクした加藤ローサなどが代表格となっている。また、既にテレビタレントとして活躍中の眞鍋かをりがこの年の末に自身のブログで伊達眼鏡姿を公開し、これを契機に一気にトラックバック数日本記録を樹立する。これが各方面で話題になり、彼女の功績によりブログというネットツールが広く知れ渡るようになったことで、ついには「ブログの女王」と呼ばれるようになる。

また翌年には自身のオタク知識を前面に押し出したブログで中川翔子が話題になり、そこで展開される「ギザ、かわユス」などの独特なネット言葉が注目を浴びた。こちらもまた大きな話題になり眞鍋に対してこちらは「新ブログの女王」と呼ばれる。この2名の出自から更にグラドルの知名度は上がった。なおこの頃から若槻千夏や小倉優子の後を追うようにグラビアと並行してテレビバラエティに進出するグラドルが多数現れ、深夜番組に留まらず、ゴールデンタイムなどにも頻繁に顔を出すようになり、大抵の番組では俗に「グラビアアイドル枠」といわれるものが設けられ、芸人等に混じり番組を盛り上げる役としてお茶の間の人気を獲得していく。

2007年9月26日水曜日

川村ひかるのグラビアデビュー

グラドルは、デビューから時間を経て人気が出てきたものもいる。2年前に第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを獲得し芸能界デビューしていた広末涼子がNTTドコモのポケベルCMで全国区となり、可憐な美少女キャラとしてグラビアにも進出。『ショートカット』という流行キーワードを生み出し、多くのファンの心を虜にした。1993年にねずみっ子クラブでデビューしていた仲根かすみがこの年以降ソロとしてグラビア活動を始めて人気を得る。

同じ頃川村ひかるがグラビアデビューを飾っている。1997年、この年でグラビア界で一番大きな出来事といえば、大手芸能事務所ホリプロをバックボーンにしたグラビアアイドル優香のデビューである。幼さを感じさせる愛らしいルックスとそれに似合わぬ巨乳の持ち主というギャップで一気にグラビアクイーンに。その後も司会業から芸人並みのコントまでこなせる幅広い適応能力が評価されて人気タレントになったが、グラドル時代に発売されたDVDや写真集は今なお売れ続けている。

そしてこれを皮切りに他の芸能事務所もイエローキャブの手法、いわゆる「巨乳ブーム」に追随する動きが出ている。この時の事を野田・現サンズエンタテインメント社長は『自分たちは小さい事務所だから自分トコのタレントを世間に知ってもらう為にはグラビアみたいなところから始めるしかなかった。でもそこに大手のホリプロが入ってきたからね。優香はホリプロの大看板を背負って出てきたわけだから、こりゃ、「勝った」なって思ったな。

やっと俺のやってきたことが認知されたなって、それまでも少しづつ変わっていたけど、優香が売れたことによって巨乳=トロイみたいな認識から、その子の頭の良さや人間性に注目してくれるようになったよね。』と語っている(QuickJapan Vol.68「特集グラビアアイドル」の対談記事から)。優香はデビュー1年後の1998年の第36回ゴールデンアロー賞グラフ賞を皮切りに1999年第37回最優秀新人賞・放送新人賞、2000年第38回放送賞と3年連続でゴールデンアロー賞を受賞し、第40回ゴールデンアロー賞でゴールデングラフ賞の記念表彰を受ける快挙を成し遂げて、グラビアアイドルの地位向上に大きく貢献した。

2007年9月22日土曜日

グラビアアイドルの分類

現在のグラビアアイドルを分類すると、セクシーさやエロティックさなどを売りにする者と、清純さなどの可愛らしさを売りにする者の2極に分けられる。またその境界線を繋ぐキーワードとして20世紀末より日本社会に浸透した「癒し」を売りにする者も現れている。ただしあるアイドルがどういった分類でグラビア読者に受け入れられるかは、個人的主観が大きく介在するため、明確な基準が存在するわけではない。前者の大人っぽさを売りにする者は、10代でデビューした者が20歳を越えてから注目される場合や20代に入ってからデビューするケースが主に当て嵌まる。

イベントコンパニオンや企業キャンペーンガール、レースクイーン経験者である場合が多い。後者の子供っぽさや清純さを売りにするグラビアアイドルは、10代でデビューするケースが殆ど。場合によっては小学生の段階からグラビア活動をする者も存在するが、子役俳優などと違い、「人前で肌を露出すること」に対する一般的な道徳観念から、またいわゆる義務教育段階の場合は学業優先や法律上の縛りで活動に制約があり、事務所には所属していても中学校卒業を待って正式にデビューする場合が多い。

第7回全日本国民的美少女コンテストで演技部門賞を受賞し、グラビアアイドルとして芸能活動している橋本愛実など、10代のうちは芸能活動は控えめながら、20代に入ってから積極的にグラビアアイドルとしてマスメディアに登場するようになるケースもあり、個人的な事情や所属事務所の営業戦略上の理由で、実際のデビューと本格的な売り出し時期に大きな差異が生まれる場合もある。2004年は、今までの地道なスカウト活動に加えて、他の業界や異業種からグラドルへ転身させるという手法が目立って出てきた年である。

これはアイドルを最初から育てるのではなく、地味な活動でもある程度人前での露出に慣れている素材に注目し育てた方が即戦力になるという判断が働いたものである。『日テレジェニック2004』は元銀行員のお客様係というOL経験をもつアバンギャルドの田辺はるか、パチンコメーカーのキャンペーンガール・ミスマリンちゃんとしてデビューしていた大久保麻梨子、ティーン向けファッション誌出身で「美少女戦士セーラームーン」の舞台で人気を得た小松彩夏らが選出。また『テレ朝エンジェルアイ2004』には前述の小林恵美、こちらもデビュー前にOL経験のあるアーティストハウス・ピラミッドの新人夏川純が選出された。

いずれもグラビアより先に何らかの職業経験を積んでからグラビアの世界に参入してきた人材であり、この傾向は今後もグラビアにおけるもう1つの潮流となっている。なお『テレ朝エンジェルアイ』は後発であったことや、起用したアイドルの反響が思いのほか少なかったことからこの年限りで廃止になっている。

2007年9月20日木曜日

水着グラビアアイドル

水着グラビアアイドルは、前歴としてはイベントコンパニオンや企業キャンペーンガール、レースクイーン経験者である場合が多い。後者の子供っぽさや清純さを売りにするグラビアアイドルは、10代でデビューするケースが殆ど。場合によっては小学生の段階からグラビア活動をする者も存在するが、子役俳優などと違い、「人前で肌を露出すること」に対する一般的な道徳観念から、またいわゆる義務教育段階の場合は学業優先や法律上の縛りで活動に制約があり、事務所には所属していても中学校卒業を待って正式にデビューする場合が多い。

第7回全日本国民的美少女コンテストで演技部門賞を受賞し、グラビアアイドルとして芸能活動している橋本愛実など、10代のうちは芸能活動は控えめながら、20代に入ってから積極的にグラビアアイドルとしてマスメディアに登場するようになるケースもあり、個人的な事情や所属事務所の営業戦略上の理由で、実際のデビューと本格的な売り出し時期に大きな差異が生まれる場合もある。2004年は、今までの地道なスカウト活動に加えて、他の業界や異業種からグラドルへ転身させるという手法が目立って出てきた年である。これはアイドルを最初から育てるのではなく、地味な活動でもある程度人前での露出に慣れている素材に注目し育てた方が即戦力になるという判断が働いたものである。

『日テレジェニック2004』は元銀行員のお客様係というOL経験をもつアバンギャルドの田辺はるか、パチンコメーカーのキャンペーンガール・ミスマリンちゃんとしてデビューしていた大久保麻梨子、ティーン向けファッション誌出身で「美少女戦士セーラームーン」の舞台で人気を得た小松彩夏らが選出。また『テレ朝エンジェルアイ2004』には前述の小林恵美、こちらもデビュー前にOL経験のあるアーティストハウス・ピラミッドの新人夏川純が選出された。

いずれもグラビアより先に何らかの職業経験を積んでからグラビアの世界に参入してきた人材であり、この傾向は今後もグラビアにおけるもう1つの潮流となっている。なお『テレ朝エンジェルアイ』は後発であったことや、起用したアイドルの反響が思いのほか少なかったことからこの年限りで廃止になっている。『ミスマガジン2004』では、グランプリに小阪由佳、読者特別賞に山崎真実、審査員特別賞に松嶋初音という純グラドルが選ばれたのに対し、『ヤングジャンプ制コレ2004』では森絵梨佳(「SEVENTEEN」)、平田薫(CANDy)等ティーンファッション誌モデル出身者が受賞。

2007年9月14日金曜日

巨乳グラビアアイドル

巨乳アイドルに相対する言葉として、胸の大きさに乏しいスレンダー体型の女性アイドルを指す言葉として「微乳アイドル」という造語がある(世間一般的には同じ意味の「貧乳」という造語もあるが、相手がアイドルである事を鑑みて「微乳」と呼ばれている)。また、胸の大きさいかんにかかわらず、形の綺麗な胸を持つ女性アイドルを「美乳アイドル」と称することもある。また最近では胸を露出しないながらも服の上からでも胸の大きさが目立つ女性アイドルも存在し、そういった場合は「隠れ巨乳」と呼ばれる場合がある。

「巨乳」という言葉が登場するまでは、見た目で大きなバストを持つ女性の事は「ボイン」ないし「デカパイ」という言葉で言い表されていた。日本において初めて公に巨乳の持ち主と認識された女性アイドルは、グラビアアイドルの祖とされるアグネス・ラムであろう。日本人アイドルで言えば1977年に第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンを優勝して芸能界入りした榊原郁恵が当て嵌まる。当時の女性アイドルはその殆どが160センチ以下の身長でバストサイズもそれに見合った80cmそこそこでAカップからCカップといった体型が主流であった。

当時のアイドルとしては155cmという低い身長にはちきれんばかりの85cmバストを武器に歌手活動と共にグラビア方面でも人気を博した。その後この系譜に1980年デビューの河合奈保子(身長157cm、バスト84cm)、柏原芳恵(156cm、85cm)などが続いた。言葉としての「巨乳」が明確に現れ始めたのは1980年代半ばである。当初はAV業界方面でDカップやEカップのAV女優が登場し、そのタイトルに「巨乳」というキーワードが付けられるようになった。

当時のそういった流れにいち早く反応し、自らの哲学でバストの大きい新人アイドルを「巨乳アイドル」と称してグラビア誌に次々と送り出して成功を収めた芸能事務所がイエローキャブであり、その代表取締役社長であった野田義治(現サンズエンタテインメント代表取締役社長)である。自らの事務所に所属する女性タレントをほぼ全て巨乳の持ち主で固め、かとうれいこ、細川ふみえ、雛形あきこ、山田まりや、佐藤江梨子、小池栄子、MEGUMI、根本はるみらを毎年のように次々とグラビアに送り出し、1990年代のグラビア界に「巨乳ブーム」という一大センセーションを巻き起こす。

その流行はイエローキャブのみならず他の芸能事務所にも波及し、青木裕子、優香、酒井若菜、深田恭子、乙葉、井上和香、愛川ゆず季、相澤仁美など今なお多くの巨乳グラビアアイドルが次々と現れている。またこういった流れはグラビアのみならずお笑いの世界にも影響を与え、1997年デビューの女性アイドル芸人コンビ・パイレーツが『タモリのボキャブラ天国』に出演した際に披露した自らの巨乳をネタにした『だっちゅーの!』のキーワードでバカ売れし、翌1998年の流行語大賞を受賞した。