2008年11月16日日曜日

懐かしいアイドル 森尾由美

森尾由美は、時にミスマガジン出身と思われがちだが、実際にはミスマガジンの流れを汲んだグラビア専門誌『デラックスマガジンORE』にて大きく取り上げられ、その高い人気からミスマガジンと同格に扱われるようになった、という経緯があり、正式なミスマガジンではない。

1982年、講談社が少年漫画誌の企画としてアイドルグラビアの読者投票コンテスト『ミスマガジン』を創設。写真家の野村誠一が企画段階から参賀したことでグラビア写真そのものの質も高く、第1回の受賞者・伊藤麻衣子(現:いとうまい子)が好評を得た事から年1回の定期開催が決定。以降アイドル歌手以外に雑誌をベースに活躍するアイドルというものが定着し始める。

その後も1984年第3回開催グランプリの斎藤由貴、同準グランプリの田中美奈子、第4回開催グランプリの八木小織(現:八木さおり)、1986年第5回開催グランプリの高岡早紀、また受賞者以外からも森尾由美、南野陽子、小沢なつきという好素材が続々と現れた。己の立ち位置を微妙に変えて対応する器用なタイプのバラドルも存在する。

MEGUMI、小池栄子、ベッキー、東原亜希等は、自身が司会を務める番組では仕切り役、メイン司会がいる場合はアシスタント、ゲストとして出る番組では時に笑いの対象、時に視聴者(特に同年代の女性視聴者)の代弁者として番組に彩りを添える。

2008年3月8日土曜日

アイドル水着 水泳大会

アイドル水着水泳大会は、基本的にくだらない番組とは言え、これまでの映像はかなりたまって来たので「懐かしのアイドル映像」や「見せます!アイドル水泳大会同窓会」的な総集編も作られ、これで過去の映像を懐かしんだり、喉の渇きを潤すファンも見られた。

1990年に開催された「日本美人大賞」入賞者から青田典子、原田徳子、藤原理恵、藤森夕子の4人で結成され、歌手やバラエティー番組などで活躍。 ユニット名はクールで高貴なイメージを持つ美人たち(COOL & CLASSY)ということで付けられた。

初期の頃は「D.D.GAPS」(ディー・ディー・ギャップス)名義も使用し、1991年には同名義で歌手活動を行った。なお、1992年からは歌手活動も「C.C.ガールズ」名義に統一。その後、メンバー同士の不仲や方向性の違いから、1995年から1998年に掛けてメンバーの総入れ替えが行われ、浜野裕子、本杉美香、森洋子、山田誉子の4人による新生(2代目)「C.C.ガールズ」を確立。

セクシー路線だけでなくインターネットを連動させてコミュニケーションアイドルとして活動することを提案した。この頃、「最初のメンバーが誰一人として残っていないC.C.ガールズ」とも言われた。なお、総入れ替え後のリーダーは、森が務めた。2代目の4人は、平均年齢が30歳を超えたことなどから、2003年12月に卒業(この時、浜野はできちゃった結婚をして引退。他の3人も卒業となったのは、浜野の結婚報告を怠ったための懲罰という説がある)。

2008年2月3日日曜日

グラビアアイドルの目指す方向性

グラビアアイドルの目指す方向性の2極化が顕著になってくる。つまり女優やテレビタレントに転身する際に、「グラビアから卒業する者」と「グラビアを卒業せずに並行して次のステップに進む者」と、である。グラビアアイドルのバラエティ番組への本格的進出が顕著になり、特にMEGUMI、若槻千夏を始めとする「芸人並に喋れて面白いリアクションができるグラビアアイドル」の出現がグラビアアイドルの裾野を広げる大きなきっかけとなった。

それまでもグラビアアイドルから転身しテレビタレントとして成功していた例はいくつもあったが、現役グラビアアイドルの肩書きを持ちながらバラエティ番組で成功したという意味では彼女たちが先駆者といってよい。MEGUMIはさらに番組司会や女優、歌手までこなすマルチタレントとして広く認識され、近年のグラビアアイドルの最たる成功例としてマスコミに取り上げられることも多い。

また喋りではなくその特異なキャラクターで同様の地位を築いたのが小倉優子で、グラビアと並行しつつTV方面でも活躍。当初は単なる「ぶりっ子キャラ」というひと昔前のキーワードで括られる存在だったが、出演番組での発言の機会が増えたことで本来の「不思議系キャラ」として認識されるようになる。

若槻千夏は渋谷系ファッションとそのギャル的な言動から男性のみならず若い女性からもその年代を代表する存在として広く人気を獲得した。1979年秋、スター誕生!に出場、清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後グランドチャンピオンとなり、柏原よしえの名で1980年6月1日シングル『No.1』でフィリップス・レコード からデビュー。