2011年2月12日土曜日

グラビアアイドルの水着活動

グラビアアイドルとは、雑誌のグラビア、写真集、イメージビデオやDVDへの出演を主な活動とし、水着姿の写真を売りにする者たちの総称で、略してグラドルとも呼ばれる。グラビアアイドルの主な活動は、雑誌グラビアページや広告宣伝媒体のポスターなど。男性雑誌では、グラビアの被写体次第で売れ行きが左右される非常に重要なファクターとなっている。グラビアアイドルとして最も重要視される要素は、外見とスタイルと若さである。

グラビア媒体から退いた後も、芸能界で生き残る手段を持ち合わせている例がむしろ稀である。彼女達を世間に送り出すメディアにも限界があるため、新人が次々とデビューする一方で芸能界で芽が出ずに忘れ去られて行く者が多く、「卒業」と称してグラビアアイドルを引退すると同時に一切の芸能活動から手を引く者が後を絶たない。

1970年代半ばより現れ始めたグラビアアイドルは、時代に則した者が大きな人気を獲得している。業界内では「若いうちは脱ぐ」「胸も顔のうち」と言われる事も多く、最初の写真集グラビア撮影時にビキニを着るのが恥ずかしくて泣いてしまったという乙葉が「水着にならなくていいアイドルは松たか子だけと言われた」という有名なエピソードも存在する。

「アイドルプロデュース遊び」は、当時の芸能界でも大きく注目された。コンピューターグラフィックスやアニメーションなどの『実体』を介したキャラクターではなかったが、バーチャルアイドルの商品展開などに強い影響を与えている。バーチャルアイドルが認知度を持ち始めたのは、パーソナルコンピュータが高性能化し始めた1995年以降のことで、コンピュータグラフィックス専用に設計されたコンピュータで生成されていたコンピュータグラフィックスが、徐々にパソコン上で生成できるようになっていった。

『ミスマガジン2002』では癒し系の系譜を引き継ぐホリプロの和希沙也がグランプリ、アーティストハウス・ピラミッドの安田美沙子がミスヤングマガジンを新人として受賞。ミス週刊少年マガジンには前年の『ポポロガールオーディション』でグランプリを受賞し妹系グラドルとして活躍していたワタナベエンターテインメントの中川翔子が選出。鎗田彩野の他、市川由衣、ファッション誌「Ray」の専属モデル香里奈、前年の『ヤングジャンプ制コレ2001』で準グランプリを受賞していた沢尻エリカが選出され、鎗田以外の3名は数年後に若手実力派女優として開眼していくことになる。

2010年8月12日木曜日

グラビアアイドルのキャリア

グラビアアイドルのキャリアは一般に短い。70年代から90年代にかけてのグラビアアイドルは、早ければ10代、遅くても大学卒業相当(22〜23歳)の年齢でグラビア(もしくは芸能界から)卒業することがほとんどだったが、現在はその限りでない。

20代半ばを過ぎてもなおグラビアから撤退せずに芸能界で活躍するケースが急増している。ほしのあき堀田ゆい夏優木まおみ安藤沙耶香相澤仁美のように、大学を卒業する年齢を過ぎてからグラビアに参入するような場合さえ見受けられるようになった。

正反対に位置する紗綾などに代表される現役小学生としてグラビアデビューを飾る超低年齢層までが出てきており、幅広い世代が同時に活躍するようになった。20代後半-30歳前後の女性アイドルが数多く活躍できるようになったのには、世間的、媒体的(インターネットの普及)な受け入れ体制が広がった。

日本人は生活習慣の変化やアンチエイジングの技術が登場したことなどによって肉体的老化が遅くなる趨勢にあることがその原因としてあげられる。さらに顔や体のメイク技術が発達して、加齢による変化を目立たなくできるようになったことも深く関係している。

2009年2月15日日曜日

アイドルの水着姿をグラビアで!

アイドルの水着姿がグラビアで楽しめるようになり久しいわけですが、フジテレビではビデオデッキが普及した時代に放映した総集編で、フジ初の水泳大会の映像を流した事があり、水泳大会はアイドルブームと共に放映本数・内容とも高まりを見せ、ビキニの露出度が高くなっていったのが80年代初頭で、最もピークだったといわれていた。

「アクション・カメラ術」なる、女性の隙をとらえた覗き撮り(盗撮)に関する書籍がヒットした事もあり、柳の下のドジョウ的に「ヒット・カメラ術」「アタック・カメラ術」など覗き撮り写真集が多数刊行された(ただし「アクション・カメラ術」は新書版なのに対し、後者は殆どグラビア書籍である)それら書籍の中では水泳大会もかなりの比率を占め、中には水泳大会写真集としか言えない出来の本もあった。

2003年頃からのバラドルたちは、少数の例外を除き、若くて容姿に優れているが、知性が欠けている、といういわゆる天然ボケのキャラクターが役割として求められている。編集によりそのような部分がことさらに強調される傾向が多く、現代のバラエティー番組は司会を務めるベテラン芸人等との絡みにおいて、バラドルが予想外・計算外な奇想天外な切り返しをしている。

周囲が翻弄される様子を笑いとして視聴者に見せることに主眼が置かれている。現代におけるバラエティー番組は非常に多様化しており、番組のカラーに合ったバラドルがそれぞれ出演依頼を受ける。

2008年11月16日日曜日

懐かしいアイドル 森尾由美

森尾由美は、時にミスマガジン出身と思われがちだが、実際にはミスマガジンの流れを汲んだグラビア専門誌『デラックスマガジンORE』にて大きく取り上げられ、その高い人気からミスマガジンと同格に扱われるようになった、という経緯があり、正式なミスマガジンではない。

1982年、講談社が少年漫画誌の企画としてアイドルグラビアの読者投票コンテスト『ミスマガジン』を創設。写真家の野村誠一が企画段階から参賀したことでグラビア写真そのものの質も高く、第1回の受賞者・伊藤麻衣子(現:いとうまい子)が好評を得た事から年1回の定期開催が決定。以降アイドル歌手以外に雑誌をベースに活躍するアイドルというものが定着し始める。

その後も1984年第3回開催グランプリの斎藤由貴、同準グランプリの田中美奈子、第4回開催グランプリの八木小織(現:八木さおり)、1986年第5回開催グランプリの高岡早紀、また受賞者以外からも森尾由美、南野陽子、小沢なつきという好素材が続々と現れた。己の立ち位置を微妙に変えて対応する器用なタイプのバラドルも存在する。

MEGUMI、小池栄子、ベッキー、東原亜希等は、自身が司会を務める番組では仕切り役、メイン司会がいる場合はアシスタント、ゲストとして出る番組では時に笑いの対象、時に視聴者(特に同年代の女性視聴者)の代弁者として番組に彩りを添える。

2008年3月8日土曜日

アイドル水着 水泳大会

アイドル水着水泳大会は、基本的にくだらない番組とは言え、これまでの映像はかなりたまって来たので「懐かしのアイドル映像」や「見せます!アイドル水泳大会同窓会」的な総集編も作られ、これで過去の映像を懐かしんだり、喉の渇きを潤すファンも見られた。

1990年に開催された「日本美人大賞」入賞者から青田典子、原田徳子、藤原理恵、藤森夕子の4人で結成され、歌手やバラエティー番組などで活躍。 ユニット名はクールで高貴なイメージを持つ美人たち(COOL & CLASSY)ということで付けられた。

初期の頃は「D.D.GAPS」(ディー・ディー・ギャップス)名義も使用し、1991年には同名義で歌手活動を行った。なお、1992年からは歌手活動も「C.C.ガールズ」名義に統一。その後、メンバー同士の不仲や方向性の違いから、1995年から1998年に掛けてメンバーの総入れ替えが行われ、浜野裕子、本杉美香、森洋子、山田誉子の4人による新生(2代目)「C.C.ガールズ」を確立。

セクシー路線だけでなくインターネットを連動させてコミュニケーションアイドルとして活動することを提案した。この頃、「最初のメンバーが誰一人として残っていないC.C.ガールズ」とも言われた。なお、総入れ替え後のリーダーは、森が務めた。2代目の4人は、平均年齢が30歳を超えたことなどから、2003年12月に卒業(この時、浜野はできちゃった結婚をして引退。他の3人も卒業となったのは、浜野の結婚報告を怠ったための懲罰という説がある)。

2008年2月3日日曜日

グラビアアイドルの目指す方向性

グラビアアイドルの目指す方向性の2極化が顕著になってくる。つまり女優やテレビタレントに転身する際に、「グラビアから卒業する者」と「グラビアを卒業せずに並行して次のステップに進む者」と、である。グラビアアイドルのバラエティ番組への本格的進出が顕著になり、特にMEGUMI、若槻千夏を始めとする「芸人並に喋れて面白いリアクションができるグラビアアイドル」の出現がグラビアアイドルの裾野を広げる大きなきっかけとなった。

それまでもグラビアアイドルから転身しテレビタレントとして成功していた例はいくつもあったが、現役グラビアアイドルの肩書きを持ちながらバラエティ番組で成功したという意味では彼女たちが先駆者といってよい。MEGUMIはさらに番組司会や女優、歌手までこなすマルチタレントとして広く認識され、近年のグラビアアイドルの最たる成功例としてマスコミに取り上げられることも多い。

また喋りではなくその特異なキャラクターで同様の地位を築いたのが小倉優子で、グラビアと並行しつつTV方面でも活躍。当初は単なる「ぶりっ子キャラ」というひと昔前のキーワードで括られる存在だったが、出演番組での発言の機会が増えたことで本来の「不思議系キャラ」として認識されるようになる。

若槻千夏は渋谷系ファッションとそのギャル的な言動から男性のみならず若い女性からもその年代を代表する存在として広く人気を獲得した。1979年秋、スター誕生!に出場、清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後グランドチャンピオンとなり、柏原よしえの名で1980年6月1日シングル『No.1』でフィリップス・レコード からデビュー。

2007年11月21日水曜日

グラマラスアイドル 河合奈保子

豊かな胸・豊満なボディ・美貌は、河合奈保子と共に、グラビアやアイドル水泳大会で注目される実績を残した。同期で同郷でもある河合とは「なおなお」「よしよし」と呼び合う間柄で仲が良い。 話し方に特徴があり(極端に言えばサ行の発音が外国風)物まね番組などで、80年代には、誇張され、よく物まねされていた。浜田翔子が表紙と巻頭。表紙を見た時から思いましたが、中見てもなんか疲れに近い物を感じるのです。

多分本人の疲れとかではなく、撮影時の表情の方向性の問題。全体に表情が硬いんです。その表情のこわばりが、見る側に不安定な印象を与えています。衣装面は割とバリエーションに富んでおり、面白みもあるので、表情がもう少し良ければ、と悔やまれます。南明奈は写真集買ったので、写真集見て思ったこと含め写真集レビューの際に詳細に書きたいのですが、彼女は雰囲気後藤真希、表情の出し方が安倍なつみという、非常に希有な物を持っていると思います。

スタイルはそこそこスレンダーだけど、肉感も兼ね備えている。ということで、磨き方によっては今年独走するくらいのポテンシャルは持っていると思います。今のままだと表情の出し方が完成されすぎていて、そこに面白みに欠ける部分がある。工藤里紗。sabra上ではグラビア撤退的な内容が書かれていましたが、こうやってきちんと週プレ巻頭に出てきてくれているので、別に気にしなくて良いのかも知れない。彼女の場合常に完成度は保っているし、スタイルの増減はあっても大崩しないので、どのグラビアも安心してみていられます。

このグラビアでも表情バリエーションは広く、でも安定しています。そろそろ次の展開を考えないといけないかも知れませんが、次の展開をしつつ、この安定したグラビアを見せて欲しい。小阪由佳。セクシー表情では、彼女の魅力は出ないのです。写真集の中にはそういう表情もあるのでしょうが、このグラビアを見ると、購入意欲が落ちます。中川翔子。ブログ風の文章を伴ったグラビア。中川翔子は最近コスプレグラビア専門、みたいなところがあるけど、今回はコスプレ色を感じさせる部分はある物の、割と普通のセクシーグラビアになっています。